ウェブメディアの多くはどこか他で報道された内容をまとめ直すだけのものが多く、またイラク戦争と2008年の米大統領選挙という2つの話題が、昨年新聞やテレビ、そしてオンライン記事で報道されたうちの25%以上を占めていたという。
このブログ(四捨六入)はほとんどが既存のオンライン記事や他の人のブログを見ての,私個人の感想
だったり意見だったりで,いわゆる一次情報ってのはあまりない。
でもほんとは個人ブログで最も価値のあるものは一次情報なんだろなと思う。
街角で見かけたちょっとした情報。
何かで得た実体験。
そんなのがいっぱい集まって,ものによってはそんな一次情報から
成るクラウドができてきて,ニュースとなる。
ニュースは常に偏った見方ではなく様々な視点から見られた総合的なものとして
存在できるようになる。
googleニュースがさらにパワーアップした感じかな。
患者や家族の57%が救急車の有料化に賛成-。こんなアンケート結果を、姫路聖マリア病院(姫路市仁豊野)がまとめた。同市では昨年十二月、男性患者が十七病院から受け入れを断られるなど、救急医療体制の弱体化が進んでおり、同院は「タクシー代わりに救急車が呼ばれないように、有料化の議論も必要ではないか」と提案している。
アンケートは、公文啓二副院長や医師、看護師らでつくる院内の救急災害医療委員会が二月十九、二十日に外来を受診した患者や付き添いの家族五百七十二人に配布。四百七十人が回答した(回答率82%)。
それによると、救急車の費用について53%が利用者の一部負担、4%が利用者の全額負担を容認していた=グラフ。
一方で、救急車を呼んだ経験のある百八十三人に一一九番した理由(複数回答)を聞くと「交通手段がなかった」が十人、「救急車は無料だから」が二人おり、少数とはいえ“タクシー代わり”の利用を明らかにした。
救急外来患者七十六人に聞いた受診理由でも、“コンビニ受診”と批判される「救急外来の方が早く診察してくれるから」が一人、「昼間は仕事や用事があった」が三人いた。
とりあえず全員有料化して,本当に救急の必要があった患者はあとから無料にするとか,
いくらでも手はありそうなんだが。。
酷い不運と理不尽に襲われた人間だけが、マッチョorウィンプになる。
マッチョとウィンプは、かなりクリアに区別できる。
何年もの間、不運と理不尽を食らいつづけたマッチョの社会正義に対するスタンスは、概ね以下のようなものになってくる。
優秀な人材に変身するキッカケに出会うか、未熟なまま老いていくか
そうかも。
俺はゆうても酷い不運にも理不尽にも襲われてないと思うので,”その他大勢”なんだが,
それでも多少,成長してきたポイントってのがあるが,それってやっぱりいろいろな
不運とかを乗り越えた時かなと思う。
マッチョが社会正義を叫ぶのは、それが戦略的に意味がある場合だけだ。
マッチョは自分に責任のない災厄が降りかかってきたときも、あわてず騒がず、淡々と自力で対処する。
それが道徳的に自分の責任なのか、他人の責任なのかを考えるのは後まわしにして、とにかく事態を収拾する。
こうして、問題は解決され、プロジェクトは前進する。
これ普通にそうよね。問題が起こって,まずは問題を解決するために全力を注ぐ。
まずは自分達に責任が無いとかばっかり叫んでいる人はまず相手にされない。
一方、マッチョはほとんど無意識のうちに不運と理不尽のリスクを警戒する。
なぜなら、不運と理不尽のリスクマネージメントも含めて、自分の責任だと考えるからだ。
俺は先に書いたようにマッチョではないけど,仕事に限らず人生どんな事象にも,
どんな不運でも基本的には自分の責任と考えてるな。
というか他人に責任があったとしても,何の解決にもならないから。
極端な話,何も悪いことしてないのに車に追突されて,大怪我をおったとして,責任が
あるのはその車の運転者であることは間違いなくても,結局大怪我をおうのは自分だから。
誰が悪かろうとなんだろうと,大怪我なんておいたくないので,危なそうな車見たら事前に
避けとくとか,車の通りの少ない道を選んで歩くとか,何かしら対策の取りようはある。
(当然,それでもぶつけられる場合だってあるわけで,そんときはそんときで,次には
自分の怪我を最小限に抑え,最短で治るような行動パターンを考えるのみ。。)
まぁそんな基本的な考え方ってのが根底にあるので,
どんな不運や人からの攻撃があったとしても,外から見たら比較的淡々と受け止め,
盲目的にならずに客観的な見方がある程度できるんじゃないかなぁと思ってる。
普段から結構突拍子もない不運が襲ってきた場合のシミュレーションを頭の中で描いて
みたりというのは,たまにだけどやってる。(そういえば比較的最近は減ってきたような・・・)


